大震災'95(小松左京、河出文庫)
95年の地震からテレビ局と永田町は何も学んでいなかったということがよく分かりました。
・・・p87
災害の情報を「総合的」に伝える社会的・公共的役割を担っているテレビ・ラジオの報道体制が、初期において「おまぬけ」に近い状態に陥ったのは(中略)放送ネットワークのキーステーションがすべて東京一極に集中しているため、これほど大きな災害が起こっても、その「重大さ」や「熱さ」が無意識的に東京からの「距離感覚」に翻訳されてしまい、情報発信の仕切りを「現場キー」に切り替えた判断が遅れたこともあるだろう。
・・・p156
震度7が発表されるような大地震はめったに起こらない。その記録を取ったのだからこれは一企業の問題ではなくて、世界の財産なのです。(中略)被害を知らべていくうちに企業を責めるべき点が出てくるかもしれないけれど、責めるなという話から始めました。そうでないとみんな公開しないから。
・・・p208
私が一番心配したのは新神戸駅でした。あそこがやられたら神戸市は全滅です。なぜ大した被害がなかったか調査しないといけない。やられたところばかり研究していますが、被害に遭うはずなのになぜ助かったのか、私はそれも研究・調査したいですね。
・・・p296
千年に一回しか起こらない地震だといわれていますが、今研究するのが、現在生きている者の使命だと思います。そして、われわれの研究は復旧だけではなくて復興を目指さないといけない。
・・・p308
ひたすら関西テレビの画面に見入った。一つにはへたなナレーションや批評めいたスーパーなど入れず、画面のみに語らせたこと。被災者にコメントを求めるシーンを極力避け、うつしてもキャスターやリポーターの姿はできるだけ写さず、むしろ被災者同士の会話、つぶやきといったものを前に出したこと。(中略)すべては、へたなつくりものではとてもとらえられない「生の、熱い人間ドラマ」の連続だった。
- 作者: 小松左京
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